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RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる

見終わった直後の率直な感想は、凄く良かったなあ。でも少しだけ
寂しいなぁ。そんな感じ。

高倉兄弟が高倉兄弟のまま、元気な陽毬の元に帰ってきて、そこに
苹果が加わってそれぞれが自分の選んだ運命の人と生きていく…
そんなハッピーエンドを期待してた部分も正直あったんだと思う。
でも、それを享受するには冠葉は人を殺しすぎてしまったんだろうなぁ。
とは言え冠葉が一人で背負いすぎてしまった罪は、陽毬の言ってた通り
陽毬も晶馬も何となく察していながら見て見ぬふりをしてきたものだと
思ってるので、罪は冠葉一人だけでなく3人で背負う必要があって。
結果、3人とも救われて、3人とも少しだけ物悲しい。
TV版と比べると、それでもずっと希望の持てる終わり方だったとは思う
けど、TV本編ラストで受けた大筋の印象とは、実は変わってないのかも。

劇場版は、高倉兄弟が自分たちは陽毬のお兄ちゃんなんだって存在証明が
出来たから、乗り換え前の記憶を持ちながら、おそらく受肉して、きっと
陽毬にまた会いに行くこともできると思うんだけど、CP厨からすると
むしろ恋愛的には後退してる気もするな。

TV本編のラストだと、いつか少年たちに記憶が戻るorお互いをお互いと
知らないまま恋をして10歳差の恋人同士になる未来も妄想できたけど、
劇場版のラストだと高倉兄弟は「陽毬のお兄ちゃん」である自分を
選択したから、少なくともあの3人の間(冠葉→陽毬、陽毬→晶馬)で
恋愛は成就しないんじゃないかと思うんだよね。一方で、晶馬と苹果は
可能性はあるけど、3人の中で一人だけ乗り換え前の恋愛を成就させる
ということを、乗換前記憶持つ晶馬は選ばない気がしてなあ。

それと、今回劇場版で蠍の炎を苹果から引き取り、「ありがとう、愛してる」
を告げて苹果から離れた晶馬に、苹果が「私も!」と応えることができた
ことで、前のようなぶつぎりで途切れた感がなくて、一つ完結したようにも
見えるという。

だから私の感想の「少しだけ寂しいなあ」はそ晶苹ゾンビである自分が
感じた部分なんだろうなと。

関係ないけど、この晶馬から離された後に苹果がもう一回自分から晶馬の
手を掴みに行くの、愛の力が強すぎて大好きなんだよね。
あと苹果役の三宅さんがTV版の収録の時にアドリブで入れたいと監督に
言ったけど当時は採用されなかったセリフが今回ここで入った「私も!」
なのエモエモすぎる…

いやでも今回の劇場版は高倉家にスポットを当てた結果、晶馬と苹果の
関係性の変化があまり描かれてないので(TV版見ようぜ!)、劇場版だけ
見てる人は、晶馬って苹果のこと好きだったんだ!?ってなるよねw

あと桃果ちゃんつよつよ!きっと何者かになれるお前たち。最後の二人への
サポートかっこよかった。
運命の乗換シーンのBGMはTV版の悲壮感と愛に溢れた「運命の子たち 蠍の炎」
の方が好きなんだけど、あの後にショタ兄弟の疾走があるので劇場版のBGMには
この「HEROESー英雄たち」のが合ってるのかもね。

今もよくわからないのが(新規シーンじゃないから伏せないけど)、箱に
閉じ込められてた晶馬が林檎を見つけられず、伝言を残したい相手もいな
かったこと。高倉の両親は思想的にはアレだけど、子供に対しては良い親を
やってたように見えたんどけど。
TV版見直したら例の回想シーンの掲示板「僕は一人ぼっちだった。何が
起こったのかわからない。いったいなぜ僕はこんなところに。僕は一人」
って出てたから、少なくとも日常的経験していた状況ではないんよな。
あれはメタファーだとか両親が所属してた宗教の修行だという考察も見たけど、
前者でも同じ疑問は残るし後者は後に一緒に暮らしてた冠葉や陽毬がそれを
受けてないなら違うのかなあと。
このあたりがよく落とし込めてないんよな。有識者の見解求。

はあ~もう一回見てえ。

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